2010年8月31日火曜日

viva!マンマ・ミア in ポカラ


ついにカトマンズを出る日がやってきました。
たぶんここに来たことあるひとは、なんで16日もカトマンズ!?とおもうかもしれません。自分たちもここまで長居することになるとは思っていませんでした。でも、いろいろなことがあって&いろいろな出逢いがあってとても大切な時間になりました。そんなカトマンズでしたが、今日からポカラに移動します。ネパールに来た最初の目的は、、、
「レックサイドで本を読みたい!!」でした。


バスはツーリストバスと呼ばれる直行便で7時間かかります。乗り物酔いしやすい自分たちは、乗る前から酔い止めのんで挑みました。覚悟はしていましたが、ほとんど7時間、アトラクション状態です。あかねは途中で追加1錠のみました。縦揺れが激しくてみんなピョンピョンしてます。崖崩れ&道路が川に寸断&無謀な追い越し&事故3件のなか、なんとかポカラに着きました。
ポカラに着いてみなみちゃんと3人でレックサイドに行ったときのことです。チベタンのおばちゃんの魔の手があかねに忍び寄っていました…
「今日は商売じゃないの。私たちモンゴリアンね!」
友達を装って商売じゃないってはじまったおばちゃんの攻撃は、会心の一撃!!→あかねはヒラリとかわした!チベタンのおばちゃんは自分たちには分からない言葉でめちゃくちゃ捨て台詞をいって、どこかに行きました。チベタンの洗礼でした(笑)
ポカラはカトマンズと比べて物価が高いです。ここ、レックサイドはその中でも高いです。同じ高いならおいしいものが食べたい!そんな感じでイタリアンのお店・マンマミアにいきました。これが1ヶ月、毎晩マンマミアでマルガリータを食べ始めた最初の日です。結果、カトマンズでやせてきたまさるとあかねは徐々にもとに戻ることになっていきます。日本ではピザなんて高くて食べたことがほとんどありませんでした。マンマミアのいつも食べてるピザは、30cmのチーズたっぷりのマルガリータ。たぶん、日本でたべたら、2,000円以上はするだろうこのピザが、250円です。ってことは、毎日通えます、通います。そんなこんなでポカラではマンマミアが日課みたいになっていました。
そしてもうひとつ、サミュの存在が大きかったとおもいます。彼は日本にチャンスをつかみに行きたいって言ってました。1週間くらい、いろいろ話しているうちに彼ならやれる!っておもえてきて、まずは日本語だよってことで、日本語を毎日教えることになりました。すごくいいネパリーです。

いつものようにマンマミアに行っていた夜、サミュと映画の話になって、3人でインド映画を見に行きました。
映画は字幕なしのネパール語のアクションものでした。ストーリーはeasyでとてもたのしかったです。インド映は、踊りあり&歌あり&アクションありの映画が多いみたいです。映画館内では、携帯電話するひとやドア開けっ放しで出入りするのは当たり前。アクションシーンでは、観客のみなさんが「そーだっ!!やっちまえぇ!!!」ヒロインとのいいシーンのときは「ヒューヒューーっ!」笑うときはみんな笑うし、ブーイングもたまにおきます。とても自由な雰囲気のある映画館で、なによりも驚いたのが、平日の昼間にほぼ満員なことです。幸福度が高い国・ネパールでした♪

ポカラには本を読みにきました。(まさるは昔読まなかった反動でよく読むようになりました)
それにしてもほんとにのんびりしています。気づいたら3週間ちかく経っていました。自然が豊かでフェワ湖に沈む夕日を見たり、街角にある看板を写真とったりetc..そんなポカラですが、まだ見れてないものがあります。ヒマラヤです。
ここはトレッキング(山登り)がメジャーなところで、みえるとおもって来たのに全く見える気配がありません。




2010年8月16日月曜日

アジアン雑貨の街 in タメル


格安航空券でネパールのカトマンズにやってきました。格安航空券とは、正規の航空券と違ってなにかと不便なところがあります。自分たちの航空券も例にもれず、到着したのが24時前でした。この時間から宿探しはむずかしいかなぁ。空港で1泊したほうが無難だなぁ。そう思いながら真夜中になんの知識もないあこがれの地・ネパールに着きました。
5教科の中でも一番苦手な英語(1番好きなのも英語です。中津野先生♫)での質問&記入。入国審査は移動するときの一番きんちょうする瞬間です。もたもたしてたんだとおもいます。ネパールのおじちゃんが、書いている途中の用紙を持ってっちゃって、適当に質問&記入しだしました。こ、これは助かるっ!VISA取得にあたり、
3ヶ月=$100用意してカウンターに並ぶと、申請用の顔写真を預け荷物の中に入れてたのをおもいだしました。時既に遅し、ヤケクソです。「おじちゃん、写真がバックパックの中に…」「……いいよ、OK!」おぉ、ネパール!なんて適当なんだ!これが第一印象でした。(結局、適当なところに助けられました)自分たちは多分、最後の旅行者だったらしく空港もガランとしてました。しかし、タクシーのおじちゃんたちは、逆です。10人以上に囲まれて、イミグレーションよりもシツコイ質問攻め。「どこに行くんだ?」「こいつのタクシーはやめとけ」「おれのタクシーは一番安い…」etc…結局、外で客待ちしてたおじちゃんのタクシーに乗りました。ネパールの車は、セルでエンジンがかかりません。押しがけでかけます。(このタクシーだけみたいです)先行き不安の中、タクシーは真っ暗な道を路地から路地にヘッドライトの灯りを頼りに走ります。30分弱はしりながら、ゲストハウスを紹介するって方向に話がまとまっていました。んんん…ボラレルな。そう思いながら着いたゲストハウスは、カンサァGH。
なかに入るとフロントの兄ちゃんが部屋に案内してくれ、フロントに戻って、ラウンド1のゴングが鳴りました。
「450ルピーでどう?」
「いやいやいやいや、250じゃないと泊まらないよ」(←なんの根拠もなしで)
「わかった、300でどうだ?」→「お願い、300で勘弁して!」
なんの根拠もないのに「ボラレてる」とおもっていたまさるは、とっくに0時をまわって、まったくあてのない街でゲストハウスをさがす余裕なんてないのに、振り返るとなぜ、あの時強気だったのかはわかりません。結局、ここに300ルピー(360円)で泊まることになりました。
朝おきると、知らない部屋にいました。あれは夢だったのかとおもうくらい、昨日はいろいろなことがありました。水を買いに街に出ました。そこは、街1つ、アジアン雑貨でした。おぉ、ここはネパールだっ!!散歩♪さんぽ♫
自分たちがいる街はそう大きくないタメル地区ってところでした。安宿があるメジャーなところみたいで、お土産屋さん&トレッキング用品屋さんがびっしり。でした。カトマンズには、2週間以上いました。あかねが体調くずしたのもありましたが、それはもう心細いものでした。早速、海外保険つかうのか?これはただの風邪か??そんなこんなしてる間に、5日目にようやく治って一安心でした。日頃はまさるのほうが体調崩しやすいんですが、まだ大丈夫みたいです。そんなこんなで長居したカトマンズで、自分たちが行ってみたところです。↓↓↓↓↓

<ボダナート>
ここは、ネパール最大のストゥーパがあることで知られています。そして、モンキー・テンプルもボダナートもチベット仏教の聖地です。チベット仏教はあまりなじみがなかったのですが、5体倒地しながらチベットのラサを目指す人たちがいる仏教です。町はストゥーパを中心にできており、その大きさはものすごいです。一周5分くらいはかかったとおもいます。なによりも、5体倒地されてるチベット仏教のひとたちを目の当たりにすると、文化ひとつ、宗教ひとつで、こんなにも生活やスタイルがかわるんだなぁ、っとおもいました。ここもたしか世界遺産だったとおもうのですが、他の世界遺産と違ってとても大切にされてる感じがしました。タメル地区からマイクロバスで1時間。ハイエース20人乗りです。帰りは歩いて帰りました。。。

<ダルバール広場>
この旅初の「世界遺産」です。周辺には5、6カ所の世界遺産があります。ここはそのひとつです。
広場にはお土産屋さんやクマリの館など、ゲストハウスで借りた地球の歩き方に載っている名所のオンパレードです。自分たちは、観光っていうか見所を見に行ったよりも、雨宿りの2時間がとても印象に残っている世界遺産です。彫刻の細かい壁とか、あまりにも悠然としている神様(牛さん)とか、とてもいいところでした。
(ネパールのみなさん、ゴメンナサイ…)


<パシュパティ ナート>

ここも世界遺産、ガンジス河の源流です。
朝は早い時間から沐浴して、亡くなった人たちは川沿いのガートと呼ばれる火葬場で火葬されます。その河で子供達は楽しそうに泳ぎ、お父さんは夜ご飯になるだろう魚を釣り、おかあさんは洗濯します。自分たちはインドに行ったことがないのでヒンドゥ教にふれたのが初めてでした。インドではガンガー(ガンジス河)でよく見られる光景みたいです。
生活のすべてが一体となり、独特の空気感があるところでした。
自分たちは歩いて(タメルから7kmくらい)2回来たのですが、入場することはありませんでした。世界遺産はどこも入場料をとられるのですが、地球の歩き方(最新版)に載ってる入場料の2倍、500ルピー、ふたりで1,000ルピーが払えずあきらめました。一泊300ルピー、一食60〜100ルピーの物価が少しずつ馴染んできたネパール10日目のことでした

<モンキー テンプル>
ここはネパール最古のストゥーパ(お寺)です。「その昔、カトマンズ盆地は湖でした。その真ん中の、蓮の花から産まれた仏様をたずねて偉いお坊さんが来たところ、大蛇が暴れて民を苦しめていました。お坊さんは剣で山を開き、湖の水と一緒に大蛇もいなくなり、そこに出来たのが今のカトマンズ」そのお坊さんが祭られているお寺がここです。

2010年8月11日水曜日

振り出しに、もどる。。。


即墨で軟禁にあって4日目、ようやく現在地のはあくが出来て5日目にやっと、脱出することができました!!次に向かうは…そう!青島です。先に進めません。むしろ戻ってきちゃいました。。。あかねが出国のときにどこからか持ってきた「スマイル青島」ってフリーペーパーに青島のバス路線&地図が載ってたのが決め手でした。(あかねはよく、色々なものをもらってきます)バスで2時間、高速を走ってなんとか青島の「どこか」に着きました。即墨に比べたらまだx2ましです!汗だくになりながら、旅館(中国の安宿)が集まるとされる青島駅までやっときました。周りは、そう!旅館だらけ!!これは旅館バイキングだねぇ♪とか話しながら、目についた旅館に入ってみると、忘れてました!英語は通じません。筆談、、通じません。そしてなぜか宿に泊めてもらえません。2件目、3件目、泊まれません。片言の筆談で少し見えてきました。外国人は地元のみんなが泊まる「旅館」には泊まれないことになっているみたいでした。ましては、中国語の全く出来ない自分たちは相手にもしてもらえませんでした。何件も「旅館」のはしごをしている間に、やさしいおばちゃん達がみかねて集まってきました。おぼろげな筆談の中、「銭、少?」の質問に「銭、無」と書いたときはさすがに惨めなおもいをしました。迎賓館(ツーリスト宿)は300元(4,500円)。これが自分たちで探した最安値でした。おばちゃん達が色々とTELいれて探してくれた結果、228元(3,400円)がでてきました。おばちゃんに着いて行くとそこは20階建てくらいの「迎賓館」。案内してくれたおねぇさんが6階の部屋を案内してくれ、「ここが168元(2,500円)で、向こうのすこしいい部屋が…」「ここでお願いします!」っというやりとりのなか、なんとか生活できる部屋に泊まることができました。すぐに両替に出かけて、やっと一息つきました。
「スマイル青島」だけが頼りです。脱出計画にあたり、インターネットの無線LANがとんでいるところをさがしました。行き着いた先が、日本食レストラン『茶茶』。牛丼セット(15元)たべながら格安航空券をさがします。ここ、青島は国際空港がありますがあまり就航がありません。なによりもVISAがのこり1週間を切っています。最悪、来た船で日本に帰ってこっそり。福岡空港〜バンコクあたりに飛ぼうかと話していました。っと、そんなおりネパールのカトマンズ行き(1人 32,000円)の予約画面さわってたら予約完了してしまいました。安いなぁ→どんなチケットなんだろう→予約完了。あっというまの出来事でした。急に忙しくなりました。
e チケット。あまり聞き慣れないチケットです。振込確認はok。今までの数少ない経験から行くと、確かパスポートNo入れる画面が出てくるはずなんだけどなぁ、あやしいなぁ→ほんとに飛べるのかなぁ。こんなことを考えながら青島国際空港へ向かいました。空港のカウンターでe チケットみせると、「あ、わたし英語わからないから発券できません」この時、今まで中国で英語が通じないストレスが一気に爆発しました。じゃぁ、なんでここに座ってるんだよ!出来ませんじゃ帰れません!!etc...
結局、英語ができる人を連れてきてもらい、チケットを見せると、予感的中。「パスポートNoが書いてないから無理です」いやいやいやいや、お願いします!ほんとにお願いします!!さっきと形勢逆転です。なんとか発券してもらい青島〜チケットに載ってない場所で1時間乗り継ぎ〜昆明に。ここでこの旅最大の危機が起こりました。まさるはタバコを吸うのですが、そんなまさるにとってX’masプレゼントにあかねからもらった魔女の宅急便のジッポは、Iphoneよりもパスポートよりも大切なジッポでした。もちろん、航空券よりも。イミグレーションでのことです。荷物を預けて中国を出国して手荷物検査でジッポがひっかかりました。
「これは没収です」
「いやいやいやいや、んなことはできない!」
「じゃぁ、搭乗はできません」
「これは絶対に渡さない!!」
ジッポの石を抜いてもX。動揺したまさるは、出国したての中国に不法入国→空港のカウンターで、「手荷物としてジッポ1個、ネパールに送って!!Help me!!!」拝みに拝み倒してなんとか送ってもらいました。そんなこんなでなんとか中国、脱出でした。

2010年8月6日金曜日

ここは、どこ??

クーラー付き&パソコン&TV付きの部屋で目が覚めました。あまりにもいろいろなことがあったため、これは夢をみてたのかもしれないと思いました。カーテンを開けて漢字だらけの看板をみてはじめて、夢じゃなかったんだとシャワー浴びて着替えて散歩でもしようと外に出たとき、頭の中に「?」がおおきく1つうかびました。
「ここはどこ???」
昨日、サィたちに連れてきてもらうときに「即墨」という地名は聞かされていたのをおもいだして、水かって旅館に戻り、「こんなときの『地球の歩き方』だね♪」とかいいながら聞き慣れない即墨の文字を必死にさがしました。どこをさがしても見つからず、ましてや青島も3ページくらいしか載ってませんでした。さすが中国!!広いんだねぇ♫っと、のんきなこといってられません。なにも調べず中国に来てしまったので、No VISA扱いで滞在が許されてるのは15日間のみ。ってことは、15日の間に中国を出なくてはならない、ってことに気づきました。とりあえず地図を買いに町へ出ました。
ここはほんとに!何もないところでした。両替も入り口に「両替できます」ってかいてあるのに、3件たらい回し。4件目で断られたときに、ここで両替してもらえなかったら5件目もない!!っておもい、1時間弱ねばり勝ちで両替したぐらいむずかしいところでした。
道を歩いてると、振り返るx2(笑)ほとんど芸能人みたいにあつかわれました。バイクに乗ってるおじちゃんなんかは、ほとんど前みてないくらい振り返ります。よっぽど珍しかったんだとおもいます。ただ、餃子がほんんっとにおいしくて、毎日、餃子たべに片道5kmが夕方の散歩コースでした。

2010年8月5日木曜日

下関〜いざ!中国へ

下関のイミグレーション(出入国カウンター)に並んでビックリ!周りから聞こえてくるのは中国語(多分)のみになってました。出国手続きはかんたんでした。船内に入ると…タバコが200円!!免税になってることを忘れてました。乗り物酔いがひどい2人は早めにカップラーメン食べてただひたすら寝てました。

朝起きて、まだ海の上です。自販機のところには中国人のみんながトランプしてて、これから向かう中国という未知との遭遇にビビってしまいました。もうすぐ、中国です!!

午後3時前に予定よりも少し早く、中国の青島に着きました。イミグレーションを抜けてまずは青島駅を探します。インフメーションの人に、「青島駅はどこですか?」…返事がないので筆談に切り替えて「我欲青島駅」…もともと漢字が苦手な自分はうまく筆談ができるわけもなく…英語もここまで通じないとおもってなく出だしから途方にくれてしまいました。船内でトランプしてた中国人の夫婦が話しかけてくれ、どこにいきたいのか?青島には駅が3つあるがどれか?→友達の安いホテルに車で送ってあげる!っということになりました。
船内でトランプしてた中国人の夫婦が話しかけてくれ、どこにいきたいのか?青島には駅が3つあるがどれか?→友達の安いホテルに車で送ってあげる!っということになりました。中国人の夫婦はサィ(女の子)とチュンソンといいます。サィは、日本で3年働いていたことがあり今回、新婚旅行で日本に行った帰りでした。とても日本語が上手で、チュンソンは覚えたての日本語でいろいろと話をしてくれました。町外れの安い所orジャスコの隣の高い所どっちがいい?→町外れの安い所で中国語勉強するをえらびました。これが中国の軟禁の幕開けになろうとはこの時はまだ知りませんでした…
青島市内をぬけて高速に乗ること1時間。あたりも暗くなってきたころ、友達のゲストハウスに着きました。っと、なんとサィたちが日本に旅行いっている間にお店をたたんでしまったらしく、その隣の旅館に泊まることになりました。荷物をおろしてサィたちが迎えにきてくれてご飯食べに行こうってことになりました。餃子屋さんに着くと、サィの家族みんなで待っててくれました。初めての中国、まだ分からないことだらけだけど、とても優しい気持ちでいっぱいになった初日でした。

2010年8月4日水曜日

鹿児島〜下関!そして夜明け




日本から外国に出国するにあたり、最初に悩むのが「出国の方法」でした。これから長い旅路をかんがえると、最初の方はおさえていきたいってことでいろいろと調べた結果、ふねで出国するのがなによりも安くあがる!っということで
鹿児島〜下関までみんなといっしょに高速で移動して、下関〜中国の青島までのふねに決まりました。準備期間はたくさんあったはずなのにいざ、出発となるとドタバタでした。見送ってくれた家族とわかれ、これからふたりだけの1年ちょっとの世界一周がはじまります。健康で無事にかえってこれたらきっと、なにもかも想い出だとおもいます。