2011年3月29日火曜日

THUNAMI coming JAPAN in リシュケシュ


バイクを探してここ、リシュケシュに戻ってきました。
リシュケシュはプシュカルと同様に2回目、3ヶ月ぶりではありますがなに不自由ありません。ゲストハウス、買い物、おいしいイタ飯屋さん(?)etc...まさにインドでのホームタウンであります。インドの友達もたくさん。そんなリシュケシュで2週間が経った夕方のことでした。
母親から電話がありました。
「日本は地震&津波が来て大変なことになっているよ。」
電話越しのその声にはどこか元気がありません。震源地に近い東京には、あかねの弟もいます。海外で縁あって知り合った友達もたくさんいます。
「これは大変なことになった。」
何がどうなっているのか全く分からない自分たちは、大きな被害が出ていないことを願いながらインターネット・カフェへ急ぎ足で行きました。
道中、なじみのお店を通りかかったとき、
「おい、まさ!こっちに来い! 日本がテレビに出てるぞ!」
そのニュースは圧倒的でした。
インドは映画大国で、何もかも映画。映画が生活にとけ込み、男はみんなサングラス。女の子は、バイクの後ろに乗るときは横座り(サリー着ているのも理由の一つ)。
そのニュースも映画仕立てでした。効果音、スローモーションに早送りを巧みに織り交ぜてとっても恐ろしい感じでした。
早々にお礼を言ってそこをはなれました。ネットカフェに向かう足取りは、いっそうに早くなっていました。
いつものネットカフェに行くと、通信網の不具合でインターネットが使えませんでした。お店の彼が、テレビのところに連れて行ってくれました。
見れるところは、NHKが見れたりBBCニュースが見れたりするのですが、ここは写らず、結局インドのニュースでした。
ヒンディー語をまわりにいるみんなが通訳してくれます。
その光景は凄まじく、全くもって日本とはおもえない映像でした。
インターネットが使えるようになって、せめて日本国民としてみんなと同じ視線、情報の把握、祈り。海外にいる自分たちはそれくらいしかできませんでした。
あかねの弟は無事でした。
物であふれた今の世の中から、幸せを減算して、本当の幸せをもっともっと、深く、深く掘りさげていくと最後は、家族&友達なんだなぁとおもいます。
自分たちは海外にいて、そういう意味では家族や友達には心配かけっぱなしです。
いま、自分たちに出来ることは、お互いに助け合い、支え合い、ここにある「家族」が無事にみんなの待つ日本まで帰ること。これに尽きると改めて実感しました。
被災された方々、またその友人や家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。
当事者でないとはいえ、きっと遠くはなれたあっちこっちにいる日本人の祈り、日本だけではなく海外の人種・宗教をこえて色々な人たちから送られてくる想い。
いま、また改めてみんな一致団結して、物であふれたナーバスになりがちな祖国が、原点帰化して前に進む促進力になればともおもいます。
それからというもの、バイク屋さんのオーナーから電話があったり、道行く人たちからたくさんの励ましを頂きました。
最後には何が残るんだろう?
宗教、人種、身分、性別、肌の色、瞳の色......
人間の暖かさにふれたリシュケシュでした。
<まさる>

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